Automatic Emotion 1
顔を上げて、前を走る、花月。
花月の半歩後ろに定位置を置くようになったのは、いつからだろう。
風鳥院の庭で、十兵衛に手を引かれて喜んでいた花月。
そして今、急成長を遂げる「風雅」のリーダーとして、十兵衛の手を離し、前を走るようになった、花月。
成長しなければ、生きてはいけない。
しかし、どこか空ろにさえ見えるほどの強すぎる瞳で、前を、上を見つめる花月を、十兵衛は心配せずにはいられなかった。
花月の主治医として。
花月を守る者として。
花月を、愛する者として。
それは、果てしなく続く戦いの合い間。
今夜はゆっくり眠れそうだと、見張りに主力の俊樹たち数名を残し、根城で花月を寝かしつけようとしていたときだった。
無限城に来たばかりの頃の習慣で、一緒のベッドに上がった花月の、ひどく薄い背を撫でて、十兵衛は言った。
「最近、食欲がないだろう」
「・・・・そんなこと、ないよ」
無理に首をよじり、背中の十兵衛の手を見ようとして諦め、花月はその首を軽く振って見せた。
「自覚がないのか？・・・針を打ってやるから、服を脱げ」
「ははっ、僕に脱げなんて言っても、無事なのって十兵衛だけだよね」
それは意味が違うからだろう、と返し、花月がパジャマのボタンを外すのを待つ。
そして、あらわれた肩甲骨の浮き出た背中をたどる。
意味が違う。だから、十兵衛は花月に、こうして体をあずけてもらえる。
意味を違える。だから、十兵衛は花月の体を、こうしてあずかることができる。
筧の針を持つものとして、風鳥院の体をあずかる。
・・・・そう、自分を戒める。
何箇所かに針を打ってやり、ついでにあちこちを押して診察もする。
少し痩せ過ぎのきらいはあるものの、十分に健康な、花月の体。
「あ・・・腕軽くなった」
「技の使いすぎだ。少しは養生しろ」
「養生って・・・年寄りくさいなぁ」
くすくすと笑い、『でも、ありがとう』と、笑った花月が、笑っていない。
何かが狂っている、と、十兵衛は思った。
上を見つめる花月の瞳。
十兵衛を見ない薄茶の瞳。
あの、柔らかな光はどこへ行ったのだろう。
あの、笑顔はどこへ行った。
花月、
おまえは、どこにいる。
「十兵衛？」
自分の肩をきつく掴み、じっと覗き込む幼馴染の常にない様子に、花月が不思議そうに首を傾げる。
その幼げな仕草だけが、あの、日溜りで会った、振袖姿の少年に重なった。
あの花月に、似ていた。
ぐい、と、細い肩を引き寄せる。
抱きしめた体はあたたかく、骨は浮いていても柔らかかった。
大丈夫だ。花月はここにいる。
滑らかな肌に指を滑らせる。
骨と筋肉が形作る、緩やかな凹凸。
誰よりも能く絃を使うための、風鳥院流唯一無二の継承者の。
風鳥院花月の、からだ・・・・
「じゅう・・・べえっ！」
背骨に添って、ゆっくりと滑り降りた手のひらが、第三腰椎付近で止まる。
首筋に近づいた唇が、吐息でのみ、その白い肌に触れた。
花月が身を引き、リィン、と鈴が鳴る。
幼馴染には過ぎた接触。
しまった、と、十兵衛が思う間もなく。
「十兵衛も、さ、僕と、そういうこと、したいんだ・・・・・」
言った花月の声には、しかし十兵衛の想像していた、傷ついた響きなど、微塵も見られなかった。
そのとき、僕が思ったことは、馬鹿らしいほどに計算高いものだった。
いつか、僕も自分の体を守れないときが来るかもしれない。
いや、積極的に武器にすることもできるかもしれない。
ならば、なるべく害のない方法で慣らしておいたほうがいい。
十兵衛ならば、僕に害を与えることなど、あるはずがないから。
だから今、十兵衛に抱かれておくことは、十分プラスになるはずだ。
傷ついたような十兵衛の瞳。
肩を掴んだままの、固い指。
「十兵衛なら、いいよ」
娼婦のような声だと、花月は自分で思う。
なんだ、上手くできるじゃないか。
「か、づき・・・・」
かすれた十兵衛の声。
「しかし・・・」
「いいよ」
出会った頃よりも、少したくましくなった十兵衛の首に、腕を絡めてみる。
まったく違う、十兵衛と花月の体。
ああでも、この体を投げ与えなくても、十兵衛は僕のために命を捨てるんだろうな。
そんな思考が、意識の表面を滑って、消えた。
花月が、『はじめて』であることは、花月の体をあずかる者として、誰よりも十兵衛が知っている。
もう一度、確かめるように背を撫でてみる。
すると、表情の見えない瞳が十兵衛を見上げ、
「優しくしてくれないと、嫌だよ」
と、囁いた。
「わかった」
その言葉が、ちゃんと声になっていたかどうか、十兵衛にはわからない。
すぐに、先ほど触れられなかったうなじに、むしゃぶりついたから。
「ん・・・・」
初めての行為に、震える花月の体。
たまらなかった。
治療のために曝されていた上半身に、余すところなく口付ける。
まだ子供らしさを残した肌は柔らかく、少し吸うだけで容易に跡が残った。
胸の頂に、赤くしこった場所を特に丹念に舐め、パジャマの下に指を掛けてから、十兵衛はキスをしていないことに気がついた。
ずっと焦がれていた花月の唇。
顔を上げ、薄茶の瞳を覗き込む。
花月は、笑っていた。
狂っている。
狂っている狂っている狂っている。
花月も、そして自分も。
初めて触れた唇は、しかし噛み千切ってしまいたいほどに美味だった。
優しくしてくれとの花月の言葉は、その身をさらす本人の肢体の前に意味を失った。
十分に慣らす余裕もないままに、性急に貫かれ、細いからだがびくびくとのたうつ。
「っ、あ・・・・っ、いや・・・・・っ」
「すまない、花月、・・・・すまない・・・・・・」
熱い内を存分に蹂躙し、とどく限りの一番奥に自身の欲をぶちまけた十兵衛は、花月の濡れた眦に口付けた。
涙に潤む瞳と上気した頬が、喩えようもなく扇情的だった。
「・・・じゅう、べ・・・もぅ・・・・」
自らの内で、更に固くなる十兵衛に怯えた花月が声を上げたのも束の間、今度は小刻みに動き、花月の雄を手のひらに包んだ十兵衛によってかき消される。
「悦くは、ならないか、花月・・・」
「あ、あ、いやぁ・・・・・」
先ほどは、つい自分の欲に走ってしまった十兵衛だが、花月を苦しませるのは本意ではない。
幸い、一度放って余裕の出た身である。痛みに萎えてしまった雄芯を、愛しさのままに優しくしごきたて、花月の様子を伺いながら、狭い内部を、角度や深度を変えて突きまわした。
「あっ・・・あっ・・・やっ・・・・・」
声に甘みが混じる場所、突くときゅうっと締まる場所。
刺激を与え続ければ、やがて体中がふるふると震え出す場所・・・・
自分の、花月の体に対する知識を深めつつ、花月の唇から、いやだという言葉が洩れなくなるまで、十兵衛は花月の体を愛しんだ。
そのとき僕は、自分が言葉に出して言ったことばを、僕自身が理解していなかった。
オートマティック。
歯を磨いたら口をすすぐ。
そんなのと一緒。体にセットされたような言葉。
『十兵衛も、さ、僕と、そういうこと、したいんだ・・・・・』
その意味を理解しないまま、年単位の時が過ぎる。
それはべつに不幸でもないけれど、おそらく、幸福では、なかったんだろう。
僕らは。